当時の背景を振り返ると日本の音楽業界全盛期であっただろう90年代。
音楽なしでは語れない時代。
当時、流行っていたスラムダンクの
主題歌はWANSの『世界が終わるまでは』
いい曲だったなぁ〜。いい時代だったなぁ〜。
運動神経が特別良かったわけでも、特別バスケが好きだったわけでもないけど、
バスケ=カッコいいと思っていた私は何も考えず、軽いノリで入部した。
入部した自分を何度もぶん殴りたいと思ったし、
兎に角、練習もキツイ、上下関係もめんどくさい、顧問が怖かった。
辞めないで最後までやり通した理由は、
自分へのプライド ただそれだけ 😂
早く大人になってこんなキツい事から逃げたい!!!!と常に思っていた青春時代。
だけど今、当時を振り返ってみて思うことは、
確実に私が人生で初めて何かをやり遂げた最初の肩書きであること。
私のルーツだという事。
何よりも一生の付き合いになるであろう友
を得たこと。
当時の顧問の先生から渡された
鶴鳴バスケットボールチーム 選手の心得
という記事
それが未だに捨てられず、たまに見返してみると大人になった今
染みる文面が沢山あるのでこれまた捨てられなくて、
たまに開いてみたりしている。
そこには人生に躓きそうになった時、辛い時、苦しい時にヒントになる言葉、
寄り添ってくれる言葉が沢山書かれているので、
その中から抜粋して、
今の私に響いている心得を少しだけ
ご紹介します🍀🍀🍀
何かをやる時は結果を先に考えるな。決心が鈍る
『もしも怪我をしたら…。もしも病気になってたら…。そんなことを考えていたら何も出来はしないよ』
自信は思い込めば身につくものではない。土壇場を切り抜けた回数に比例するのさ
『気力とか自信というものは、具体的に何かをやった者だけが感じる独自の精神作用さ。
掛け声だけ威勢よくたって何も身につきゃしないよ』
人は他人の一生懸命な姿に何度も何度も接して本物になっていく。
『一生懸命な姿、一生懸命な目、その美しさを知った者は、もうそれだけで価値のある人間の仲間入りさ』
当時の顧問の先生と同じ位か年上になった今、
先生が伝えたかったことが分かるような
そんな気がしている。
72項目に及ぶこの心得はきっとこれから先も読み返すだろうし、
もしかしたら今の私には未だ響かない言葉も、
1年後、5年後、今とは違った角度で私の心に、すーっと入ってくるのかもしれない。
皆さんは大切な言葉や、心に響く言葉、救われた言葉ありますか?
言葉って素敵だな
と改めて思う今日この頃です。